奈良の東大寺(とうだいじ)で、「華厳経(けごんきょう)」というお経(きょう)の話しをする会が、初めてもよおされる事になった時のお話しです。
在奈良的东大寺,初次召开了关于颂「华严经」的会议。
会の日取りは決まりましたが、お経の話しをしてくれる人を誰にするか、なかなか決めかねていました。
虽然会议的工夫决定了,可是让谁念经却一直决定不了。
その時、天皇(てんのう)が、「夢で告げられた事だが、朝一番先に寺の門前で出会った者を先生にするがよい」と、お寺に伝えて来たのです。
这时,天皇传指令给寺庙说「在梦里有人告知早上最早在寺庙门口遇见的人就是老师了」。
お寺ではその通りにする事にして、その日の夜明けを待ちました。
寺庙决定按照吩咐的做,就一直等到天亮。
すると、お寺の前を一番先に通りかかったのは、魚を入れた大きなザルをてんびん棒でかついだサバ売りだったのです。
最初经过寺庙的是一个用扁担挑着装满鱼的大箩筐的卖鲐鱼的人。
(はて、この人に、お経の話が出来るのだろうか?)と、思いましたが、天皇の夢のお告げですから、だまって見送ってしまうわけにはいきません。
(呀,这人会念经吗?)虽然这样想,可是由于是天皇梦里告知的事情,所以不敢视而不见。
サバ売りを呼び止めて、わけを話すと、「と、とんでもねえ。わしはこうして、サバを売って暮らしておるだけの者じゃ。お経の話しだなんて、とてもとても」
于是叫住卖鱼的,把事情的原委向他说明了一下。「这太不可思议了。我只是这样一个以卖鲐鱼为生的人啊。念经什么的完全不行啊」。
「しかし、天皇のお告げが」。
「可是,这是天皇的旨意啊」。
「天皇なんて、関係ねえ。生臭い魚は食わねえ坊さんたちにはわかるめえが、サバという魚は、すぐに腐るんじゃ。『生き腐れ』と言って、それこそ生きている間にも腐るんじゃ。さあ、ひまをつぶしておるわけにはいかんから、道を開けてくだされ」。
「天皇什么的和我没有关系啊。你们和尚不吃腥鱼,所以可能不明白,这种鲐鱼,很快就会腐烂的。就如『就算活着也是在腐烂』所说,在活着的时分就已经开始腐烂了。所以别再消遣我了,快给我让开一条路来」。
「まあまあ、そこをなんとか」立ち去ろうとするサバ売りをお寺の人たちはなおも引きとめて、やっとの事で本堂へ連れて行きました。
「等等,请无论如何帮一下忙啊」寺庙的人们拖着要离去的卖鱼者,好不轻易把他拖进了正殿。
「・・・仕方ねえな」観念したサバ売りは、八十匹の魚を入れたままのザルを机の上に置きました。
「・・・真是没方法啊」死了心的卖鱼者就把装了八十条鱼的箩筐放在了桌子上。
「あんな生臭い物を、机の上に置くとは」集まった人たちが困った表情をしましたが、不思議な事に八十匹のサバはたちまち八十巻のお経の巻物にかわったのです。
「那么腥的东西怎么能放在桌子上呢」聚集的人们面露难色,可是不可思议的是,那八十条鱼一会就变成了八十卷佛经了。
そして口を開き始めたサバ売りの言葉を聞いて、人々はビックリしました。
而且听到卖鱼人开口说的话,人们大吃一惊。
サバ売りは古いインドのお経の言葉で話し始め、途中で話を止めると机の前から立ち上がって本堂から出て行ってしまったのです。
卖鱼人开始说古印度的佛经,途中突然停止说教,从桌子前站起来走出来大殿。
不思議なサバ売りが魚をかついでいたてんびん棒は、回廊の前につき立ててありました。
不可思议的是,卖鱼人把挑着鱼的扁担插在了走廊前。
その棒からはたちまち枝や葉っぱが出て、柏槙(びゃくしん→ヒノキ科の常緑高木)という木になりました。
那扁担不一会就长出枝叶,变成了圆柏树(柏科的常绿高树)
もしかするとサバ売りは、仏さまだったのかもしれません。
或许那卖鱼人正是佛祖。
こののち、東大寺で毎年三月十四日に開かれるお経のお話会の先生は、このサバ売りにならってお話しを途中で止めて、本堂からだまって外へ出ていく事になったという事です。
之后,据说在东大寺每年召开的三月十四日佛经会上说教的老师,会仿效这个卖鱼的人,总是在说到一半的时分停下来,默默地从正殿走出去。