由来
三種の神器の一つである「草薙剣(くさなぎのつるぎ)」を祀る神社。天照大神は草薙剣を御霊代(みたましろ)としてよらせられる。
热田神宫是供奉三神器之一的草薙剑的神社,而草薙剑寄宿着天照大神的神体。
天照大神は、言うまでもなく、皇室の御祖神とも至高至貴の神とも仰がれ、人々にいつくしみの徳をあたえられる神です。又、相殿神は「五神(ごしん)さま」と呼ばれ、草薙神剣とゆかりの深い神々で、宮簀媛命、建稲種命は尾張氏の遠祖として仰がれる神々です。
天照大神不言而喻是皇室的先祖,是被人敬仰的至高无上的神,是赐予人们慈爱之德的神。另外,相殿神被称为“五神样”,和草薙神剑有着很深的关系,宫篑媛命、建稻种命作为尾张氏的先祖被人尊敬。
御鎮座は、日本武尊の御事蹟と深い関係があります。御父景行天皇から信任を授かった日本武尊は、東征の帰途、尾張国造の御女である宮簀媛命をお妃とされ、やがて草薙神剣をこの国に留めておなくなりになります。宮簀媛命は尊の御遺志を重んじて、神剣を今の熱田の地にまつられました。今からおよそ千九百年前になります。
佛像和日本武尊的事迹有很深的关联。受到其父景行天皇的信任,日本武尊在东征的归途中纳尾张国造之女宫篑媛命为妃子,不久后,把草薙神剑留在尾张而逝去。宫篑媛命重视日本武尊的遗志,把神剑供奉在今熱田这个地方。这是大约一千九百年前的事了。
祭典
古くより伝わる年間約六十もの祭典と、約十におよぶ特殊神事が昔ながらの尊い手ぶりのまま今に伝えられております。数多い祭典の大半が産業や日々の暮らしと深い関係にあることは、熱田神宮の成り立ちと信仰の意義をよく表わしております。
自古以来的一年约六十次的祭典,一年约十次的祭典以及特殊祭祀活动保留着跟以前一样的珍贵习俗流传了下来。数量繁多的祭典中大半都和实业、日常生活有很深的联系,这正表现了熱田神宫的由来和信仰的意义。
日本新年神社的巫女打工妹
中でも一番大きなお祭りは、「熱田まつり」の名で呼ばれる六月五日の例祭です。この祭りには天皇陛下のお使いとして勅使が御参向になります。又、初詣、一月五日の初えびす、五月八日からの花の撓(とう)、七五三まいりなどは、ことに参拝者の多いお祭りです。
其中最大型的祭祀活动是在六月五日举行的被称为“熱田祭”的定期祭祀。在祭祀中,宣敕使作为天皇陛下的使者前往参拜。另外还有新年首次参拜,一月五日的初惠比寿,五月八日开始的花之挠,七五三等祭祀活动参拜者也特别多。
建築
境内は、昔から雲見山、蓬莱島の名で知られ、大都会の中にありながら静寂で、市民の心のオアシスとして親しまれております。面積約19万平方メートル(約6万坪)、飛地境内地をあわせると約29万平方メートル(約9万坪)にのぼります。神苑の樹木はクス、ケヤキ、カシ、シイ、ムク、イチョウ、クロガネモチ等が良く育ち、ことにクスは巨木が多く、樹令千年前後と推定されるものが数本あります。有名な木には、花が咲いても実のならない「ならずの梅」、茶人の愛好する「太郎庵椿」、弘法大師お手植と伝える「大楠」などがあります。
神社院内自古以来以云见山、蓬莱岛等名字为人知晓,作为繁华都市中的一抹寂静,市民心中的绿洲被人熟悉。面积约19万平方公里(约6万坪),加上散落在各地的领地其总面积高达29万平方公里(约9万坪)。神社内樟树、榉树、栎树、米槠、朴树、银杏、黑橡树等生机勃勃,尤其是樟树中巨树很多,树龄在千年左右的就有数根。有名的树中,有只开花不结果的“无果梅”,有茶道之人喜欢的“太郎庵椿”,还有据说是弘法大师亲手栽种的“大楠”。
境内、境外には、本宮の外、一別宮、十二摂社、三十一末社が祀られております。本宮社殿の構造は、尾張造という特殊な様式でしたが、明治26年から現在のような神明造に改められました。昭和10年と昭和30年に伊勢神宮の式年遷宮の際の古用材を譲り受け、造営が行われ、平成21年には創祀千九百年を記念した造営が行われました。
神社内外,除了总社,还有一座别宫、十二座摄社、三十一座末社。总社神殿的构造原是采用了尾张造这种特殊样式,但是在明治26年被改建成了现在这样的神明造。昭和10年和昭和30年修复时继承了伊势神宫式年迁宫时拆卸下来的木材,平成21年进行了纪念创社一千九百年的修建。
严岛神社:浮在海上的世界文化遗产
法隆寺:世界最古老的木结构建筑