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【概要】
糺の森(ただすのもり、糺ノ森とも表記)は、京都市左京区の賀茂御祖神社(下鴨神社)の境内にある社叢林です。鴨川と高野川の合流地点に発達した原生林で、12万4千平方メートルの広さがあります。1983年(昭和58年)に国の史跡に登録されました。その後、1994年(平成6年)には下賀茂神社全域が世界遺産に登録されています。
糺の森(ただすのもり、糺ノ森とも表記)は、京都市左京区の賀茂御祖神社(下鴨神社)の境内にある社叢林です。鴨川と高野川の合流地点に発達した原生林で、12万4千平方メートルの広さがあります。1983年(昭和58年)に国の史跡に登録されました。その後、1994年(平成6年)には下賀茂神社全域が世界遺産に登録されています。
【概要】
纠森林是位于京都市左京区的贺茂御祖神社(又名下鸭神社)内的从树林。这片原生树林在鸭川和高野川的汇合处茁壮成长,如今已有12.4万平方米之广。1983年,被登录为日本文化遗产;1994年,下贺茂神社全范围被登记为世界遗产。
纠森林是位于京都市左京区的贺茂御祖神社(又名下鸭神社)内的从树林。这片原生树林在鸭川和高野川的汇合处茁壮成长,如今已有12.4万平方米之广。1983年,被登录为日本文化遗产;1994年,下贺茂神社全范围被登记为世界遗产。
【歴史】
※495万平方メートルの広さ
京都に平安京のあった時代には、495万平方メートルの広さがありました。応仁の乱などの戦乱や、明治時代の上知令などで、現在の面積まで減少しました。特に応仁の乱の兵火で総面積の7割を消失しています。
※495万平方メートルの広さ
京都に平安京のあった時代には、495万平方メートルの広さがありました。応仁の乱などの戦乱や、明治時代の上知令などで、現在の面積まで減少しました。特に応仁の乱の兵火で総面積の7割を消失しています。
【历史】
※占地495万平方米
在京都还是平安京的时代,这片森林曾占地495万平方米。后因应仁之乱等战乱及明治时代的上知令,减少至现今的面积大小。其中应仁之乱的战火毁了这里7成的树林。
※占地495万平方米
在京都还是平安京的时代,这片森林曾占地495万平方米。后因应仁之乱等战乱及明治时代的上知令,减少至现今的面积大小。其中应仁之乱的战火毁了这里7成的树林。
※文献
糺の森は、数々の物語や、文献にあります。「源氏物語」「枕草子」などの有名な書物にも登場しています。
糺の森は、数々の物語や、文献にあります。「源氏物語」「枕草子」などの有名な書物にも登場しています。
※文献资料
纠森林曾在多部作品、文献中被提及,《源氏物语》《枕草子》等著名书籍中都出现过。
纠森林曾在多部作品、文献中被提及,《源氏物语》《枕草子》等著名书籍中都出现过。
【鴨の七不思議】
糺の森には、鴨の七不思議と呼ばれる言い伝えがあります。
糺の森には、鴨の七不思議と呼ばれる言い伝えがあります。
【下鸭七大不可思议】
纠森林里还有一个人称“下鸭七大不可思议”的传说。
纠森林里还有一个人称“下鸭七大不可思议”的传说。
※連理の賢木
3本のサカキのうち、2本が幹の中ほどで繋がっている神木です。その形態から縁結びの象徴となっています。連理の賢木が古くなり枯れると、後継となる新たなサカキが糺の森のいずこかに生じるといわれています。
3本のサカキのうち、2本が幹の中ほどで繋がっている神木です。その形態から縁結びの象徴となっています。連理の賢木が古くなり枯れると、後継となる新たなサカキが糺の森のいずこかに生じるといわれています。
※连理贤木
3棵杨桐中有2棵的树干中间部分生长在一起,因其外形被人们视为姻缘的神树。据说即使连理贤木老朽枯萎了,新生的杨桐也会在纠森林的某个地方继续茁壮生长。
3棵杨桐中有2棵的树干中间部分生长在一起,因其外形被人们视为姻缘的神树。据说即使连理贤木老朽枯萎了,新生的杨桐也会在纠森林的某个地方继续茁壮生长。
※何でも柊
本殿南西にある境内摂社の1つ、比良木神社の周囲の木、樹種によらず、みなヒイラギのように葉の周囲に鋸歯を生じると言われています。
本殿南西にある境内摂社の1つ、比良木神社の周囲の木、樹種によらず、みなヒイラギのように葉の周囲に鋸歯を生じると言われています。
※都是刺桂
位于正殿西南方的境内摄社——比良木神社周边的树木,据说部分树种,所有的树都长着刺桂般的叶缘有刺状锯齿的树叶。
位于正殿西南方的境内摄社——比良木神社周边的树木,据说部分树种,所有的树都长着刺桂般的叶缘有刺状锯齿的树叶。
※みたらし池(御手洗池)のあわ
盛夏の土用の頃、御手洗川の源泉である御手洗池から水泡が沸きます。この泡をもとに生まれた菓子がみたらし団子であるという言い伝えがあります。
盛夏の土用の頃、御手洗川の源泉である御手洗池から水泡が沸きます。この泡をもとに生まれた菓子がみたらし団子であるという言い伝えがあります。
※御手洗池的泡泡
盛夏暑伏时节,御手洗川的源泉——御手洗川内就会泛起阵阵水泡。据说御手洗糯米丸子就是由这些水泡中造出来的。
盛夏暑伏时节,御手洗川的源泉——御手洗川内就会泛起阵阵水泡。据说御手洗糯米丸子就是由这些水泡中造出来的。
※泉川の石(烏縄手、烏の縄手)
烏とは下鴨神社の祭神である賀茂建角身命の化身、八咫烏を指しています。縄手は八咫烏へ参るための幾筋もの細長い参道のことをいいます。その縄手の一つ、紅葉橋のたもとにはかつて雨乞い祈願の小烏社とよばれる社があり、請願が通ずると泉川の石が飛び跳ねたと言われています。
烏とは下鴨神社の祭神である賀茂建角身命の化身、八咫烏を指しています。縄手は八咫烏へ参るための幾筋もの細長い参道のことをいいます。その縄手の一つ、紅葉橋のたもとにはかつて雨乞い祈願の小烏社とよばれる社があり、請願が通ずると泉川の石が飛び跳ねたと言われています。
※泉川的石子(乌之细道)
“烏”指的是下鸭神社所供奉的贺茂建角身命的化身——八咫乌。“縄手”则指通向八咫乌神殿的几条极为细长的参道。在其中一条细道上的红叶桥畔,有一座祈雨的小乌社,据说如果愿望成真的话泉川的石子就会弹跳起来。
“烏”指的是下鸭神社所供奉的贺茂建角身命的化身——八咫乌。“縄手”则指通向八咫乌神殿的几条极为细长的参道。在其中一条细道上的红叶桥畔,有一座祈雨的小乌社,据说如果愿望成真的话泉川的石子就会弹跳起来。
※赤椿
糺の森には赤い花をつけるツバキが多く、これは下鴨神社の神職は位階が高く、他から参拝に訪れる使いの者は一般にそれよりも低いため、位階に基づく装束の色の違いが目立たぬよう配慮したものです。
糺の森には赤い花をつけるツバキが多く、これは下鴨神社の神職は位階が高く、他から参拝に訪れる使いの者は一般にそれよりも低いため、位階に基づく装束の色の違いが目立たぬよう配慮したものです。
※红山茶
纠森林中有很多开着红色花朵的山茶,这是因为下鸭神社的神职位阶都很高,而前来参拜的使者都是相对低位的人,在古代着装的颜色因位阶不同而异,这些红山茶就是为了是这些差异不太过明显而特别栽种的。
纠森林中有很多开着红色花朵的山茶,这是因为下鸭神社的神职位阶都很高,而前来参拜的使者都是相对低位的人,在古代着装的颜色因位阶不同而异,这些红山茶就是为了是这些差异不太过明显而特别栽种的。
※船ヶ島·奈良社旧跡
御手洗川と泉川の三角州に船ヶ島と呼ばれる一角があります。戦乱や旱魃に際してこの周辺の流れを掻き回すと、小石が跳ねて世相が落ち着くといわれています。
御手洗川と泉川の三角州に船ヶ島と呼ばれる一角があります。戦乱や旱魃に際してこの周辺の流れを掻き回すと、小石が跳ねて世相が落ち着くといわれています。
※船岛·奈良社旧址
御手洗川和泉川的三角洲的一部分名叫船岛。据说每逢战乱或旱灾之时,翻动这里一带的水流以使小石子跳跃,实践就会归于太平。
御手洗川和泉川的三角洲的一部分名叫船岛。据说每逢战乱或旱灾之时,翻动这里一带的水流以使小石子跳跃,实践就会归于太平。
※切芝
糺の森のほぼ中心に位置する、古くよりの祭場です。
糺の森のほぼ中心に位置する、古くよりの祭場です。
※切芝
位于纠森林的正中央,是自古以来的祭祀场所。
位于纠森林的正中央,是自古以来的祭祀场所。
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