武士の給料は、個人にではなく、「家」に対して支払われた。したがって武士が主君から貰う給料は「家禄」とよばれる。禄を整理すると、①知行②扶持米③給金の三つに分かれる。当時はいってみれば米本位社会、米本位制経済で、すべてが米で管理されたといっていい。信仰にされたほどの米本位制は、最初はうまくいったが、現実社会は貨幣経済で、さまざまな問題を引き起こした。
武士的俸禄并非发放给个人,而是针对家庭支付的,因此武士从主君那里获得的俸禄就被称为家禄。整理一下俸禄的类型,共分为知行、抚持米、给金三种。古代的日本属于米本位社会,施行的是米本位制经济,可以说一切都以米来管理。这种堪称传统信仰的米本位制度在一开始进行得挺顺利,然而,现实社会却是货币经济,后来就产生了很多问题。
整理しておくと、家禄=①知行+②扶持米+③給金となる。①の「知行」は、領地をもらうこと、例えば百石の知行といえば、百石の米が収穫できる土地を有することだ。この場合、例え住宅用地であっても、麦を生産しても、すべて米の生産可能性で計算された。知行一万石以上を大名という。
整理一下也就是,武士的家禄=知行+抚持米+给金。知行也就是分封的领地。比如说,百石知行指的就是消费量可达百石米的土地。(注:1石等于120斤)在这种方式下,即便是住宅用地,或消费作物是小麦,一切还是要换算成大米的可能消费量来计算。知行一万石以上就叫做大名。
領地の生産可能性が五万石であれば、五万石の大名となる。ところが、米を作っている農民がいるから、税として取り立てる。普通は「四公六民」の割合で、五万石の40%が大名の取り分となる。結果として二万石が大名取り分で、一石がおおむね一両とされたから、二万両の給料となる。一両一万円とすると、収入は2億円、現金化するには色々な手数料などが現代で年間売り上げ2億円といえば、零細企業だろう。家来も多くあり、まして穀物には相場があるから、もうちょっと複雑になる。
如果领地的可能产量达到了五万石就是五万石的大名。但由于土地上还有种植大米的农夫,这些米是作为税来收取的。一般的比例是四公六民,五万石的40%就是大名应得的份额。结果大名只收取了二万石,一石大致相当于一两,二万石也就是二万两的俸禄。假设一两相当于一万日元,收入就是2亿日元。大米换成现金还需各类名目的手续费,在现代看来,每年2亿日元的营业额属于规模较小的企业。而大名的家臣众多,再加上谷物市价的变动,算起来就还要更复杂一些。
次に「②扶持米」とは、「禄」を米で貰うものだ。身分により30俵から400俵くらいまであったが、つまりは米の現物支給、知行地を持たぬ、下級旗本や御家人は、幕府から扶持米をもらっていた。年三回の分割支給で、例えば春(2月)に25%、夏(9月)に25%、冬(10月)に残りの50%を貰う。分割されたことから「切米(きりまい)」ともよばれる。
抚持米即领取大米作为俸禄。根据武士身份的高低,范围从30俵到400俵不等,总的来说,抚持米这种方式就是发放现成的大米。下级旗本与御家人没有自己的知行地,他们从幕府领取的俸禄便是抚持米。抚持米每年分三次发放,比如春季(2月)发25%,夏季(9月)发25%,冬季就将剩下的50%发放完毕。由于是分期发放,抚持米又被称为切米。
③の給金は文字通り現金で貰うもの。最も身分の低い侍だと、一年に三両一分だ。侍を馬鹿にするとき、三一侍「サンピン・ざむらい」というが、三両一分の三と一に、サイコロの数を当てはめている。現代換算すると年間約32万5千円で、生活は厳しかったろう。
给金就如文字所示,以现金的方式领俸。如果是身份最低微的武士,一年能领到三两一分。嘲笑武士时,人们会说三一武士(サンピン・ざむらい),因为三两一分的三和一就正好相当于两个骰子上的数字。照现代的换算,每年仅有约32万5千日元,生活肯定不会宽裕。