照片定格在2006年,三岁的片山悠貴徳和他的爸爸片山俊作。但是就在这张照片拍下几个月之后,爸爸俊作因病去世了。三年后,悠貴徳君成了广岛市立中岛小学的一名小学生,在作文中写下对爸爸的思念,通过一个便当盒回忆与爸爸的点点滴滴。这篇作文获得了朝日学生新闻社举办的第四届作文比赛最优秀奖,在颁奖典礼上,悠貴徳君朗读了自己的作品,在场的大人们无不哽咽。
以下就是悠貴徳君的作文:『ぼくとお父さんのおべんとうばこ|我和爸爸的便当盒』
おとうさんがびょうきでなくなってから三年、ぼくは小学一年生になりました。
爸爸因病去世三年之后,我成了一名小学一年级学生。
おとうさんにほうこくがあります。きっとみてくれているとおもうけど、ぼくはおとうさんのおべんとうばこをかりました。
有件事要向爸爸汇报一下,但是我想,爸爸也肯定明白了:我借用了您的便当盒。
ぼくは、きのうのことをおもいだすたびにむねがドキドキします。
一想起昨天的事情,我的心还在怦怦直跳。
ぼくのおべんとうばことはしがあたって、すてきなおとがきこえました。きのうのおべんとうは、とくべつでした。まだ十じだというのに、おべんとうのことばかりかんがえてしまいました。
我的便当盒和筷子相互碰撞,发出了很好听的声响。昨天的便当,特别特别,虽然当时才上午十点,可我脑子里想着的全是便当。
なぜきのうのおべんとうがとくべつかというと、それはおとうさんのおべんとうばこをはじめてつかったからです。おとうさんがいなくなって、ぼくはとてもさみしくてかなしかったです。
之所以说昨天的便当盒很特别,那是因为第一次运用了爸爸的便当盒。爸爸去世后,我特别寂寞、特别难过。
おとうさんのおしごとは、てんぷらやさんでした。おとうさんのあげたてんぷらはせかい一おいしかったです。ぼくがたべにいくと、いつもこっそり、ぼくだけにぼくの大すきなエビのてんぷらをたくさんあげてくれました。そんなとき、ぼくはなんだかぼくだけがとくべつなきがしてとてもうれしかったです。あれからたくさんたべて空手もがんばっているのでいままでつかっていたおべんとうばこではたりなくなってきました。
爸爸在天妇罗店工作,他油炸的天妇罗,是世界上最好吃的。每次我去吃的时分,爸爸总是悄悄地、为我炸很多我最最喜欢的虾天妇罗。每当那时分,我总不由得感觉自己很特别,因此特别快乐。那以后我每天吃得多多的,还努力训练空手道,以至于一直运用的便当盒变得不够用了。
「大きいおべんとうにしてほしい」
とぼくがいうと、おかあさんがとだなのおくからおとうさんがいつもしごとのときにもっていっていたおべんとうばこを出してきてくれました。
我想要个大点的便当盒!
那天我这么一说,妈妈便从橱柜的里面将爸爸上班时经常运用的便当盒拿出来给了我。
「ちょっとゆうくんには、大きすぎるけどたべれるかな」
といいました。でもぼくはおとうさんのおべんとうばこをつかわせてもらうことになったのです。
对悠来说,会不会太大了些呢?
妈妈说。但还是让我用上了爸爸的便当盒。
そしてあさからまちにまったおべんとうのじかん。ぼくはぜんぶたべることができました。たべたらなんだかおとうさんみたいに、つよくてやさしい人になれたきがして、おとうさんにあいたくなりました。いまおもいだしてもドキドキするくらいうれしくておいしいとくべつなおべんとうでした。
然后,就是从早上开始等了又等的吃便当的工夫。我将便当全部吃得光光的。吃完之后感觉自己可以变成爸爸那样又强盛又温顺的人,我很想见爸爸一面。到现在回想起这么快乐又好吃的特别的便当,心里还怦怦地跳个不停。
もし、かみさまにおねがいができるなら、もういちどおとうさんと、おかあさんと、ぼくといもうととみんなでくらしたいです。でもおとうさんは、いつも空の上からぼくたちをみまもってくれています。
如果能够向神许愿的话,我想要能再一次和爸爸、妈妈、妹妹一起生活。不过爸爸一直在天空中守护着我们。
おとうさんがいなくて、さみしいけれど、ぼくがかぞくの中で一人の男の子だから、おとうさんのかわりに、おかあさんといもうとをまもっていきます。おとうさんのおべんとうばこでしっかりごはんをたべて、もっともっとつよくて、やさしい男の子になります。
虽然爸爸不在会很寂寞,但我是家里的唯一的男孩子,我会代替爸爸保护好妈妈和妹妹,我会用爸爸的便当盒好好地吃饭,成为更加更加坚强的、温顺的男孩子。
おとうさん、おべんとうばこをかしてくれてありがとうございます。
爸爸,谢谢你借给我的便当盒。