日本の今日の娘の生活という見出しで、たとえばルポルタージュ写真を撮るとなれば、これも手の込んだ仕事になるだろう。あるひと月をきめて、その月に現れる婦人雑誌の口絵写真を眺め合わせただけでも、ひとくにち娘さんと云われる年ごろの若い女性の現実が、どんなに多種多様になって来ているか。一方の端と他の端とではその日その日が何とも云えない大きいちがいをもって殆ど別天地のような姿を見せている。一つの雑誌の写真には、美しい风行の服装をした令嬢が一匹数百円よりもっとしそうな堂々たる犬を左右において、広やかな庭前で写真にとられている。
他の雑誌では、機械工として働いている若い娘さんたちの姿、男がわりに田の植付けをしている娘さんたちの姿がうつし出されていて、両極端の現実に生きている娘さんたちは、互に心の底で何てちがう生活だろうと感じながら、しかし格別責任もない消費的なような目でそれぞれの生活を眺めあっているのだと思う。
それでいながら、やっぱり何か求めて生きているということでは共通で、時代の色もそこに濃くあつめられているのである。
お嬢さんという境遇にいる若いひとが、この頃は自分たちにつけられるそういう呼び名を嫌って来ていることも面白い。何かそこに安住していられないものがあって、もっと虚飾のない、むき出しの、だが愛らしくぴちぴちした娘という響を自分たちの若さの表徴とする好みになっている。お嬢さん、と云われることのなかにおのずから重苦しく感じさせられる境遇の格式ばった窮屈さや、どこかでその力に従わせられている自分への反撥として、より簡素な娘という云いかたへの趣向があるのだと思われる。実際の条件がそれでどう変化しているかは兎も角として、私は娘なのよと云うとき、そこには若い女性としての自分の生活の領域が主張されている。
職業をもつことを、大抵のひとが自分たちの若い時代の生活に結びつけて不思議としていない今日の心持も、やはりこのお嬢さんぎらいの感情と共通の根をもつものだと考えられる。それぞれの程度で学生生活が終ったら、そのつづきで職業が持たれて行っている。就職のくちが割合どっさりあるということは今日の社会の条件からおこった需要で、各方面へ婦人の進出をもたらしているのだけれども、それらの職業についてゆく娘さんたちの内面的な動機にふれてみれば、婦人の技能の拡大のためという建て前からより、職業でも持てば、とそこに予想される自分の娘としての生活の何かの動き、何かの自立性への希望からだと思える。幸福を求めている気持を親にばかり託しきれず、一人の娘として世間との接触のなかにそのきっかけをも捉えたい心持が潜んでいるのではないだろうか。
よく婦人雑誌に出るこの種の働く娘さんの、経済のやりくりを見ると、職業との結びつきの本質がまざまざと語られていると思う。こういう人たちは、自分たちの小遣帳に大きい買物、小さい買物という部をわけている。小さい買物だのお茶をのんだり映画を見たりすることは、自分たちの月給でまかなっている。大きい買物というのには服、靴、ハンド・バッグ、帽子その他が入れられるのだが、これらの大きい買物はみんな親に出して貰う。そして、その金額についてはひとしく沈黙が守られている。そういう基本的なところをまかせている生活態度について深く考えるということもないらしく、自分だけでは解決されているのだから、働く婦人として受ける報酬という社会的なこととして、それが足りなければ足りないことが考えられることもされないのである。
従って、そういう娘さんたちが職業について、真に獲得して来る経験は、果してどういうものだろうか。
先ず正直に云って、職業そのものからも、その職業の場面で接触して来る人々からも、大抵は一種の幻滅を感じて来ていると思う。ここに、若い娘の複雑な社会での扱われようも関係していると考えられる。若い娘たちは張りきって、力いっぱいの活力を生かされることを願って、頬を輝やかしながら職場の第一日を迎えるだろう。ところが、日が経つにつれて殆ど総ての職業の平凡さ、種々の職場内の伝習の固陋さ、自分にあてがわれる仕事の詰らなさが遣り切れなくなって来る。いろいろの意味で発展的な系統的な部署へつけられる娘は少くて、大概は機械的な、力のあまる、単調な場所におく。女をそういうところで働かす社会の習慣はまだまだ一般につよく遺っているのである。自分の月給で小さい買物だけすれば生活の根本に不安のない、いくらか生活力に溢れた娘さんたちは、社会のしきたりが女の実力を育ててゆく習慣の上にその位おくれている歴史の反映として、自身の内部にもおくれたものは持っているのだから、職業は職業として理解して
若い娘さんが職業についていながらその職業の上におちつけず、いつもその外へ目をくばって、何となく不安そうにして絶えず何かを求めるようにしている心理は、極めて微妙に現代の社会の矛盾を語っていると思わずにいられない。男は職業に責任をもってそれで生活してゆく実力がある。けれども女は、その能力のないものとして、
大きい買物、小さい買物という暮しぶりの娘さんがこの迷途に引きまわされた揚句、つまりは現状維持の気持に裾をとられてゆく過程は、誰の目にも見易いことであると思う。職業をもったということは、彼女たちに、自分のとれる金銭のたかを教え、同じ環境の青年たちの経済力の小ささを教え、逆効果として、大きい買物をまかせられる力の味を一層身にしみて感じさせる。自分の生きかたを外から眺めるだけの目をもたないある種の若い娘が、そういう力を背中にもっていることから自分が享楽出来ている様々の消費を、青春の夢の実現の一つの形と思いこむことは、たやすく想像出来る。そして、娘心のその夢の実現のために今の社会で必要なのは金であり、良人はそれ故金持でなければならず、その判断で自分たちは前時代の女の感傷は失っているというようなことを、何か新しい価値のように思う不幸な敗北を告白するのである。この結論が、最も俗っぽい、青春の誇りを失った本質のものであることを、こう書いてみれば、否定する娘さんは恐らくそう沢山はあるまい。けれども、或る種の人たちのように、はっきり率直にその転落を表明もせず、従ってそれを考え直すという希望のあるモメントさえ自覚されず、しかも、どこか心の奥でそういう結論に立っているのが、或は大きい買物、小さい買物組の、ある共通性だということは無いだろうか。
私たちは、ここに以上のような大きい判断の誤りを明白にみるのだが、この誤りの中からもその第一歩に在った動機として若い娘が自分の生活を求めさがしている気持には、無視しきれない視線を感じるのである。
一寸話が変って、この頃の娘たちはよく外でお茶をのんだり、おしる粉屋へ入ったり、そのまたはしごをするということが、ある滑稽さで云われる。人によっては、それを現代の娘の浪費癖という風にも見ている。男の学生たちが喫茶店にゆくのと同じ心理のように云う人もある。だが、それだけだろうか。
若い娘たちがその仲間と一緒に喋るとき、大人の目と耳でそれがたとえ幼稚でもおちゃっぴいでも、本人たちはそれぞれ一城の主で縦横にやっている。勤めている娘さんたちは、仲間うちでは大体それぞれの家庭のそれぞれの条件は一応そのひとたちの内に収めて、語るとしても自分をとおして自分のこととして語ってつき合ってゆく。ところが、その家庭へ御免下さいと入って行くと、その中での娘さんたちの在りようというものは、決して勤め先で一人前に働いているその人のままの自立性ではない。断然、うちの娘として、独立した室を持っていないことが多いし、娘の友達としてお母さんたちとの交渉が生じ、その交渉では仲間とはおのずから異った目での批評もうけなければならない。話題、その喋りかたさえ気がおける。
たとえ娘の室は立派に独立していたとして、余程鈍感な娘さんならともかく、さもなければ、やはり、友達のものではない周囲の支配的な雰囲気に対して、居馴染みかねるものがある。お嬢さんをきらい娘という呼びかたをこのむ心理はここにもお互に作用している。
そういううるささをさけて、じゃ、いっそどこそこで落合いましょうよ、ということになって、種々雑多な彼女たちが街頭に溢れて来る次第なのだ。
みじめっぽく小さい
自分の現実をそれなりに承認したくない心持、何かそこから自分としての生活をもって行きたい心持というものは、今日夥しい産業部門に働いている何十万という若い娘さんの心理に、やはり執拗に生きつづけている欲望だと思う。今日の現実は、彼女たちにも職業についているそのことが幸福だと直接に感じられる場合は極めてすくないにちがいない。家のためにも働き、いくらかは自分の生活へのゆとりをも持つ。そのゆとりから、若い娘として今あるがままでは承認出来ない自分の現実をかえてゆく何かをつくってゆきたい。だが、その何かは、どういうものであったらいいのだろうか。どういうものだったら、承認したくない自分の現実に何か変化をもたらす力となるのだろう。
この場合でも、その何かが職業とは別のところで探されていることは、関心をひくところであると思う。或る場合には、面白くもないわが家を仲間の目からかくしておくと同じわけから自分の職業の種類さえ人の目からは蔭において、その上で若い娘として何かを探す。工場の若い男たちがどっさり偽学生の
特に昨今は女学生と工場の娘さんとの区別がなくなったということは、或る意味ではうれしいことだと思う。何よりも、その年配の働く娘が急にふえて、全く装も学校のつづきで働いているからであるけれど、健康の状態も向上しているわけだろうし、職能の範囲の未来性も考えられる。そういう娘さんは、心持も朗らかなのだろうと思うけれど、その朗らかさは、云ってみれば朗らかに職業とは別に何か自分の生活を求めてゆく妨げにはならないのである。
たとえば、昼間工場に働いている娘さんで、夜間女学校に来るひとの数が大変多くなっていることを、府立第六高女の校長が近頃語っていられる記事をよんだ。辛いが
それらの健気な娘さんたちが、そういう努力をとおして求めているのは何だろう。彼女たちが自分の現実に安んじていられない心からの動きである事は明かだと思う。その動きの方向が、技術学校ではなくて夜間でも女学校へと向っているところに、何かが語られていると思うのは誤りだろうか。いろいろ書いたものの上などでは女子労働者の重要な意味がこの頃はよく云われているのだけれども、その立場にいる娘さんたち自身は、そのように重要なものとしての自分たちの青春を感じられず、人前では工場の仕事を蔭におく気分、技術ではない女学校へ通う気分だということは、周囲の扱いだけの責任だろうか。
文学の同好会のような集りへ、工場へ働いている娘さんその他の職場で働いている娘さんが来る。めいめい、何かを求めている心で集っているのだけれど、そういうとき、ごく一般的な文学談を、皆が同じようにやれるということで、現実に安んじない娘さんたちの気分が満たされるとしたら、何か甚だ頼りないと思う。娘として、生活の幸福を思うと、彼女たちも古いしきたりの標準を標準としてうけ入れて、何か働く娘としてではない部分でなければ幸福はつかまえられないように思い、自分としての生活や趣味というとき、そのような性質で何となく考えられている傾きがつよいのが実際だと思う。
大きい買物、小さい買物組と、こういう娘さんとは境遇的にも社会的な立場も全くちがいながら、しかも今日の日本に生きてゆく娘であるということで、職業を持っていることについて、それと連関しての結婚問題について、同じ性質の矛盾と苦しい摸索の気持とを経験しつつあるのは意味ふかいことだと思う。
二十から二十四五という若い娘さんは日本じゅうで何百万人いることだろう。その人たち一人一人の胸の中をきいてみれば、今日何かの意味で自分としての生活をもって、それを職業だの結婚だのと調和させて生きてゆきたいという希望を抱いていない人は恐らく一人もないだろうと思う。職業なり仕事なりに伸びるだけ自分を伸ばして、同時に女としてたっぷりとした妻、母として生きたい願望は一般として痛切なものだと思える。
この点では、大正七八年頃はじめて職業婦人として進み出した時代の若い女のひとたちより、今の娘さんの気持は複雑にちがって来ている。その頃は、職業をもつこと自身が婦人の社会的なめざめの第一過程であるという一つのモラルで見られていたし、その意味では職業婦人は先覚的な若い人たちとしての自信も矜恃もあった。働く娘さんの数は少くて、そんなことを思ってもみないひとの方が多かったのだけれど、職業をもつことを人生的な態度として行った女のひとの周囲には、時代的にその動きを肯定する青年たちもいたわけだった。職業につくということは、或る積極的な方向を示すことであったと思う。
今日では職業は若い娘さんの生活にもっとずっと日常のこととしてくい込んでいて、それが先覚的な人生の態度などというきわ立ったことではなくなって来ている。いわば自然にそこに身を置いてゆくようなこととなっている。それでいて、一旦そこに身をおいてみると、初めて女として様々のむずかしい問題に直面しなければならなくなって来て、その解決によりどころとなるものが特别に失われているというのが、今日の若い女の社会条件の困難さだと思う。
どんな娘さんも自分としての生活というものを考え、職業や仕事について考えているが、どんな娘さんも亦そういうことを考える自分に特别の自信と確信とを持てずにいるというのが、今日の現実ではないだろうか。しかも多くのひとは実際の必要からも働いて行かなければならない。
自信のなさということは、娘さんのきょうの不安な
日本の若い娘も、生きてゆく感情の上で一つの大きい成長を遂げなければならない時機が来ているのではないだろうか。その意味でも女にとって画期的な時代に入っているのではないだろうか。あらゆる若い娘が、現実の自分の日々の外へ目を走らせてそこで何かの幸福、何かの自信をつかもうと心を空にいら立つのをやめて、自分のおかれている現実をよく見て、それを理解して、その中からうまずたゆまず自分がこうと思う方向へ根気よい爪先を向けて生きてゆく。そのことに自信を培うしかない時が来ているのだと思うがどうだろう。
目下のところ、解決された形で示されている若い娘の幸福は一つもないと云えるだろう。人生は激しいものである上に、今の世紀は全世界が動いていて、そういう時代だからこそ益々若い娘の生きてゆくよりどころが、外へ外へと求められて行っては混乱するばかりである。一つの例をとって、ここに働いている娘さんが、余暇に自分のゆたかさのためにアテネ・フランセに通って勉強していたとする。人類の文化の精華にふれてゆけるという或る憧れやロマンティックなもので、フランス語を学んでいたら、今度パリがおちたらフランスは博物館国になっているという風な云いかたをする人も出て、何だかその語学をつづけてゆく自信がないようになったということも、昨今では決して無くはないだろうと想像される。
それらの娘さんたちの若い想像力は、そうなったフランスにも自分たちのような娘がどっさりいて、彼女たちはどんな心持で自分たちの遭遇しなければならない歴史のめぐり合わせを生き抜こうとしているかというところ迄思いめぐらしているだろうか。そういう人生と歴史との波瀾そのものが人生であると知って、そこに沈着に愛と思慮とを失わずに生きて、その困難さに於ても、建設の努力においても、より高まろうとする人間性のひきつぎ手として自分の娘としての日々を暮してゆく。そういう一貫性が日本の娘さんにも無くてはならないし、無くては自分がやってもゆけない時に来ているのだと思える。
今日の若い娘が、もしああもこうも考える力をもっていると云うならば、その考える力を輾転反側の動力として
私たちは、どんなことにしろ、そのものの意味を知らなければ、それを大切にしたり愛したりすることは出来ない。現実を理解しなければ、それを愛し、そこに働きかけてゆく人間の歴代の努力のうけつぎ手として今日生きているよろこびや感動を味うことも出来ない。知は愛の母、というレオナルド・ダ・ヴィンチの言葉は真実にふれている。現実を知るということと、現実はこんなものだと分るということとは全く別である。こんなものなら、どうして現実はこんなものとしてしか現れないか、こんなものである現実に飽かず何故人間は営々と努力しているか、そこにまでふれて理解しなければなるまい。周囲の世相が急流のように迅ければ迅いほど、私たちの知識や理解力は深められなければ、やって行けなくなって来ていると思う。
ひところ若い娘の美容法の一くさりに、眼の美しい表情は程よい読書と頭脳の集中された活動によってもたらされる、ということが云われた時代があった。今ではこれも
今日の若い娘は女の歴史的な成長の意味からも当面しているたくさんの問題から自分だけは身を