中国語教室で、「中国人はなぜ人に物を贈るのが好きなのか?」と日本人学生に聞かれた。「これが、中国文化だ」とその場しのぎに答えても、良かったかもしれない。しかし、私もまさにこの問いを投げかけた日本人と同じような気持ちを抱いていたため、自分の意見を言わざるを得なかった。
在中文教室里,日本学生会问:“中国人为什么那么喜欢送人礼物呢?”在当场就算直接回答“这是中国的文化”,也许是个不错的选择。而事实上,我本人也和日本人一样,对此问题抱有同样的疑惑,不得不来说说自己的看法。
中国には、「礼多人不怪」(礼儀がいくらくどくても、咎める人はいない)という諺がある。いい意味だと、中国は礼儀の国だと理解することができる。しかし、反対に、数千年前の封建時代以来ずっと「礼儀」という名の下に、支配者への絶対服従を洗脳されてきたともいえる。
中国有句俗话:礼多人不怪。从好的意义上来说,可以理解为中国是礼仪之邦。不过反过来说,这是几千年前封建时代以来,统治者们一直借“礼仪”之名让人们“绝对服从”的洗脑信条。
日本も礼儀を重んじる国であることは間違いない。日本人が頻繁にお辞儀をするのは、世界でもよく知られている。しかし、日常生活において、日本人は非常に慎重で用心深く、常識の範囲を越えて、人に迷惑をかけることを最も恐れている。一方、中国人は贅沢好きで見栄っ張りなので、見た目や名誉にこだわり、人にケチだという印象を持たれることを恐れている。
日本也绝对是一个注重礼仪的国家。日本人会不断鞠躬行礼是全世界人民都知道的事儿。可是在日常生活中,日本人就十分小心翼翼,生怕超越了常识范围,给其他人带来麻烦。另一方面,中国人就比较爱虚荣、好显摆,非常重视外表和名誉,且担心给别人留下吝啬的印象。
中国人は先祖代々贈り物をし、人の顔色を伺いながら成長してきた。しかし、今の日本社会では、「礼多人不怪」という諺は、単に言葉上のマナーや礼儀の範囲に限られている。日本人の贈り物は、中国人からすると、あまりにもケチくさく見える。日本社会では、贈り物は感謝の気持ちを伝えるための儀礼的なものにすぎず、常識をわきまえた範囲内で行うことが求められる。礼儀が過剰になると、逆に無礼となり、受け取る側に負担を感じさせ、余計な悩みを増やしてしまう。その結果、送り手の意に反して、日本人の「他人に迷惑をかけない」というタブーを犯してしまうことになる。
中国人从祖祖辈辈开始就互相馈赠,在察言观色的氛围中成长起来。而在当下的日本社会,“礼多人不怪”这一俗话只是仅限于在语言上的礼仪罢了。在中国人看来,日本人的礼物实在太小家子气了。日本人之间赠送的礼品只是表达一种感谢之情,追求的是一种合乎常识范围且不可太过的礼节。如果礼太重,反而会显得无礼,让接受礼物的一方感到有压力,从而增加了别人的烦恼。所以,这种结果是违背送礼人意愿的,犯了日本人“不给别人添麻烦”的禁忌。
「礼儀は山の如し重く」という数千年にわたる抑圧は、中国人を逆境に強く、情勢判断力に優れ、臨機応変に長けた性格にさせた。唐の詩人白楽天の「野火焼けどつきず、春風吹いてまた生ず」(人生には様々な困難や問題があるが、どんな苦しみや難問もいつか必ず乗り越えられる)というように、中国人の生命力は世界でも他に並ぶものがない。
在几千年“礼有重如泰山”的压迫下,使得中国人遇逆境而强,且有着优秀的形势判断力,造就擅长随机应变的性格。唐朝大诗人白居易有诗云“野火烧不尽,春风吹又生。”(人生虽然有着各种各样的困境磨难,但无论是什么样难题,总有一天是能跨越的。)中国人,有着与世界比肩的顽强生命力。