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耳が良いとか悪いとかって、あると思うんですよね。いろんな意味で。
我觉得吧,确实有耳尖与否这回事,各种意义上的。
通常、「耳が良い」と言ったら「よく聞こえる」、つまり、「小さな音でもちゃんと聞き取れる」という意味です。その逆が「耳が悪い」という表現になりますが、これは「耳が遠い」などと言ったりもします。
我们在说到“耳朵灵”这个词时,通常指的是“听力好”、也就是“即使是细小的声音也可以听清”之意。反之则是“耳神不好”,有时人们也会用“耳背”之类的表达。
話は逸れますが、「耳が遠い」って面白い表現ですよね。決して耳の性能が悪いのではなくて、耳が遠いところにあるから聞き取れないのだ──という、なんだか漱石枕流な表現が絶妙です。
说点偏题的话,“耳朵远(耳背)”这个表达真的很有意思啊。绝不是耳朵本身有问题,只是离得远所以听不到罢了——这话总觉得很有“漱石枕流”风格,甚是精妙。
注:【漱石枕流】自分の失敗を認めず、屁理屈へりくつを並べて言い逃れをすること。負け惜しみの強いこと。
▽「石に漱くちすすぎ流れに枕する」と常用され、夏目漱石の雅号「漱石」の由来として有名。「枕流漱石ちんりゅうそうせき」ともいう。中国西晋せいしんの孫楚そんそは「石に枕し流れに漱くちす すぐ」と言うべきところを、「石に漱ぎ流れに枕す」と言ってしまい、誤りを指摘されると、「石に漱ぐのは歯を磨くため、流れに枕するのは耳を洗うためだ」と言ってごまかした故事から。
よく似た表現に「おしっこが近い/遠い」というのがありますが、こちらのほうは正確に言えば「おしっこが」近いのではなく「おしっこする所=便所が」近い(ので、よくおしっこに行くのだ)という意味で(それが証拠に「トイレが近い」とも言います)、これまた負け惜しみめいた感じが私は好きです。
日语中还有些和它比较像的表达,像是“おしっこが近い/遠い(尿频/尿少)”,这个准确来说是“如厕的地方即厕所”离得近(所以才经常去尿尿)而不是“尿”离得近(证据就是“おしっこが近い”还有种说法叫做“トイレが近い·厕所离得近”),听起来也颇有不服输的味道,个人甚是喜欢。
閑話休題。話がどんどん逸れてしまったので元に戻しましょう。
闲聊到此为止。扯得有些远了,言归正传吧。
「耳が良い」はそれ以外にも「音感が良い」という意味で使うこともあります。この場合は音楽的な能力の問題ですね。
除了上面提到的以外,“耳が良い”一词还用于表达“音感好”。像这种情况的话就是音乐能力上的问题了吧。
さて、私は別に他人より聴力に優れているわけでもなし、絶対音感があるわけでもないのですが、それでも自分では耳が良いと思っています。
说来我并没有在听力方面胜于常人,也不是说有音感,不过我还是觉得自己耳朵算是灵的。
それはもうひとつ別の意味での「耳が良い」で、アクセントの聞き分けや喋り方の特徴の掴み方が、自分で言うのもなんですが、上手いと思うのです。
这是另一种意义上的“耳朵灵”,虽然自己夸自己有点那啥了,不过在听口音及捕捉说话方式的特征方面,我还是很擅长的。
例えば私はブログに映画評を書いています。関西出身の私が映画を観ていて気持ち悪く感じるのが、関西出身でない役者の使う変な関西弁です。
比如我在博客上有写些影评,电影中那些非关西演员说的蹩脚关西话会让我这个关西人听了觉得很反感。
で、時々そういうこと(この役者の関西弁が気持ち悪かった、等々)をブログに書くと、知ってる人からも知らない人からも、「私も関西出身ですけど、ちっとも気になりませんでしたよ」などと言われることがあるのです。
有时我也会把这类事情(这演员的关西话真让人反感之类的)写在博客上,然后一些认识的或不认识的人都会这么说:“我也是关西人,听了完全没感觉啊。”
耳の痛い話です。耳が良いのも悪いのも困ったことだと思います。
这些事听起来可真是刺耳啊。其实耳尖与否都会让人头疼。
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