天下和平 弥足珍贵
沖縄県の与那国島は日本の西の果てに浮かぶ。その島にある久部良(くぶら)小学校1年、安里有生(あさとゆうき)くんの朗読する詩に、目頭を熱くした人もいたのではないか。沖縄慰霊の日の追悼式場から、あどけなくもきっぱりした言葉が、大人の心を洗うように届けられた
冲绳县的与那国岛漂浮在日本的西部边陲。位于该岛的久部良小学1年级学生安里有生小朋友朗读的这首诗歌,不知道有多少人为之热泪盈眶。他那传自于冲绳慰灵日追悼仪式会场的天真无邪清脆响亮的话语,荡涤着成年人们的心灵。
「へいわってすてきだね」という題が、まっすぐに響いてくる。〈へいわってなにかな。ぼくは、かんがえたよ。おともだちとなかよし。かぞくが、げんき……ねこがわらう〉
“和平,多么美好!”,首先这题目就直接给予我们震撼。〈和平,是什么呢?我想过很多遍。那就是与小伙伴团结友爱,全家人身体健康……,就连小猫咪也成天欢笑。〉
朗読をテレビで聞きながら、与那国島の出身で、沖縄初の「軍神」になったある大尉を思い出した。陸軍士官学校を出てガダルカナル島で戦死した。那覇市での県葬には1万人が参列し、児童6千人が行進したという。かつて、その人の遺族に取材したことがあった
当我在电视上听到他朗读诗歌的时候,不由地想起了同样出身于与那国岛,并成为冲绳第一个“军神”的某大尉。他从陆军士官学校毕业后战死在了瓜达康纳尔岛。当年,有1万人参加了那霸市为他举行的县葬,而且还有6千名儿童参加了游行。我也曾经对其遗属进行过采访。
顕彰運動はむろん、県民の戦意高揚が狙いだった。そうした果てに沖縄戦があった。住民は根こそぎ動員され、「鉄の暴風」といわれる戦火の中で多くの人が死んでいった
彰显运动就不必说了,这么做的目的就是为了提高县民们的斗志。可结果最终却导致了冲绳战役的发生。全体岛上居民总动员,不知有多少人死在了那场被称之为“钢铁暴风”的战火当中。
与那国島を訪ねると、小高い崖に戦時中の詩のプレートが今も残る。詩の作者は島を「南海の防壁」と呼び、〈おお汝は 黙々として 皇国南海の鎮護に挺身する 沈まざる二十五万噸(トン)の航空母艦だ〉と言葉を結んでいる
当你来到与那国岛访问的时候,就会看到至今仍保留在不很高的崖壁上一首战时诗歌的牌匾。诗歌的作者将该岛称为“南海屏障”,并以〈啊,我辈默默欲挺身于镇守皇国南海的战斗,我们是二十五万吨不沉的航空母舰〉结句。
戦争が終わって68年、安里くんは、島の道ばたにあるものが「平和」なのだと気づく。〈やぎがのんびりあるいてる……よなぐにうまが、ヒヒーンとなく〉。平和という言葉についた手垢を、小さな詩人に洗い流してもらったような気になった。
战争结束已经68年,安里小朋友发现了存在于海岛路旁的“和平”,〈小山羊悠闲地踱着小步……,与那国马在咴咴儿地嘶鸣〉。我发现所有沾染在所谓和平语汇上的污垢都被这位小诗人洗涤一净。
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