无视钟表 忘却时间
「時間が足りない」と焦るくせに、「時間をもてあましちゃって」などと言う。思えば、しっくり過不足なく時間が流れることは、人にはまれなのかもしれない。時間を止めたい時があるかと思えば、お金を払ってでも早く過ぎてほしい時がある
虽然总抱怨“没时间”,可也常常说出“不知如何打发时间”之类的话。仔细想一想,也许不快不慢正合适的时间流逝对于人来说那是罕见的苛求。往往是既有真想让时间停下来的时候,也有哪怕是花点钱也希望时间过得快一点时候。
後者の典型は待つ時間だろう。それにも様々なシーンがある。ラブレターの返事を待つのと、舌打ちしながら遅延電車を待つのは違う。通勤電車の場合、10分の遅れで4人に3人がイライラを感じるそうだ
后者所指的典型就是等待的时间,当然其中也有各式各样的情况。焦急地地等待着情书回音和因等待晚点城铁而乍舌的情况是截然不同的。据说。在上下班高峰,如果城铁晚点10分钟的话每4人中就会有3人感到心神不定。
シチズンホールディングスが、ビジネスに携わる20~50代の男女計400人に聞いた。総合病院では45分までに過半数が、役所なら15分までに7割が「イライラゾーン」に入るようだ
西铁城控股公司(Citizen Holdings)曾经对400名20~50年龄段的男女商务人员作过咨询调查,结果是在综合医院等时45分钟之内有过半数,在政府机关等时15分钟之内有7成左右的人开始进入“心神不定的阶段”。
それでも10年前の調査に比べて気長になっているという。スマホが時間つぶしに役立っているのでは。そんな推測がある一方で、ネットの接続に10秒かかると5割以上がじれるというから皮肉めく
不过,与10前进行的调查相比,据说已经淡定了一些。不知道是不是因为多功能手机在打发时间上起到了一定的作用。尽管可以作出这样的推测 ,可另一种具有讽刺意义的情况是在连接网络时,哪怕只需要耗时10秒钟也会有5成以上的人感到焦急。
米の文豪フォークナーが「時計が止まるとき、時間はよみがえる」という意味のことを述べていた。考えてみれば、私たちは時計なしの時間を知らない。時を見た人はいないのに、時計に時を見せられて、いつも小走りに急ぎがちだ
美国的大文豪福克纳(William Cuthbert Faulkner)就曾经说过“当钟表停摆的时候,时间就苏醒了”之类的话。仔细考虑后你会发现,我们并不了解不依赖钟表的时间。尽管没有人能够看到时间,可我们还是通过钟表发现了时间的流逝,并且往往容易被它牵着鼻子一路小跑地急着追赶。
おそらくは文豪と同じ含みで、「ちっこい機械が悠久の時間を支配すべきだろうか」と書いたのは絵本作家の故・佐野洋子さんだった。あすは時の記念日である。きょうはひとつ、ちっこい機械の文字盤を、しばし忘れてみるのもいい。できればスマホもOFFにして。
“难道就应该让这小小的机器统治悠久的时间吗?”这段和大文豪所说的在内容上大致相同的文字是已故连环画作家佐野洋子女士留下的。明天就是时间纪念日,在今天,不妨让我们暂时忘却那安装在这小小机械上的数码盘面,可能的话,连多功能手机也给它关掉。
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