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前期回顾:深度揭秘:系结与日语表达的变迁1
「や」、「か」はどちらも疑問と反語を表す係り助詞だが、これらにもニュアンスの相違はある。「や」の方は文全体を疑問形にするために使われるのに対して、「か」の方は分の一部をとりだしてそれに疑問を投げかける。「大伴の大納言は、龍の頸の玉やとりておはしたる」といえば、大友の大納言は龍の玉をとってきたのです、か」という具合に文全体が疑問のかたちになっている。一方、「いかに思ひてか、汝らかたきもとと申すべき」のほうは、文章の前半にかかるだけである。
“や”、“か”两种都是表达疑问与反问的系助词,这两者之间也存在着语感上的差异。“や”是让整个句子成为疑问句的用法,而“か”则只指示句子中的一部分,对此提出疑问。比如“大伴の大納言は、龍の頸の玉やとりておはしたる”,就相当于“大友の大納言は龍の玉をとってきたのですか(大伴大纳言已得到了龙颈之玉吗)”,这种形式是对整句提出了疑问。而与此相对,“いかに思ひてか、汝らかたきもとと申すべき”(你们说这样做很困难,到底是出于怎样的想法呢?)则只对文句的前半部分提出疑问。
反語の場合には、文全体が問題となるので、疑問の場合とは異なって両者には文法上の相違は生じない、生じるのは語気の差であるという。「か」の方が「や」よりも語気が強いのだ。
在用于反问的情况下,由于整个句子都成为反问形式,就与疑问用法时不同,两者在语法上并不产生差异,而只有一点语气上的微细差别。“か”在语气上比“や”更加强烈一些。
室町時代になると、「や」のほうは疑問形に、「か」のほうは反語の形にと、役割分担が進む。だが、上述したような理由(終止形の連体形化)で、このふたつも次第に消えていく運命にあった。
进入室町时代后,“や”成为了疑问形式,“か”成为了反问形式,两者的职能出现分化。但由于前面所述的原因(即终止形的连体形化),这两者也面临了最终消亡的命运。
連体形と結びついた4つの係助詞に比較すると、「こそ」のほうは已然形と結びついているおかげで、係り結びの法則性が見失われることはなかったために、相対的に長生きしたが、これもやがて次第に用いられなくなった。係り結びの仲間たちがなくなることによる効果だ。孤立した事象はいつまでも長くは続かないということか。
相较于前面4个接续连体形的系助词,“こそ”由于与已然形形成呼应关系,并没有失去“系结”的规则,相对残存了较长时间,但不久仍归于消亡,这也是“系结”伙伴全军覆没所导致的结果,或许说明,孤立存在的现象是难以长存的吧。
この他に、日本語の構造が次第に論理的になっていったという言語構造上の事象も、係り結びが消失したことに影響していると氏は言う。「が」や「を」といった格助詞や接続詞を効果的に使うことで、文の論理的なつながりを明示しようとする傾向が強まってくると、本来情緒的な性格がつよく、表現を曖昧にさせる方向に働いていた係り結びは次第に主流から外れていくというわけである。
此外,山口仲美认为,日语的结构逐渐趋向逻辑性,这种语言结构上的现象也对“系结”的消失产生了影响。人们试图通过有效地使用“が”和“を”这类格助词与接续词,以明确地表现文章的逻辑联系,在这种趋势日益明显的情况下,原来侧重于感性的性格、在表达上趋向委婉含蓄的“系结”就逐渐被驱逐出主流之列了。
たしかに、対象を強調して表現するのと、対象を論理的に説明するのとでは、目的も効果も違ってくる。係り結びは、格助詞を用いて論理的に説明することとは異なり、話し手や聞き手にとって対象のもっているべきと考えられることがらを、ことさらに強調することで、情緒的な効果をねらった表現だといえるのである。
的确,强调对象的表达与旨在逻辑性说明对象的表达,在目的及效果上截然不同。可以说,“系结”这种表达与通过格助词进行逻辑说明的表达是相异的,“系结”特别强调说话人、听话人之间对谈话对象的想法,以此来产生一种感性的效果。