「胡麻すり」という日本語は、語感が面白いのか中国人留学生はまず100人が100人この言葉を知っている。
“磨芝麻”(意为溜须拍马)这句日语,大概由于语言给人的感觉很诙谐吧,中国留学生没有不知道的。
お世辞を言う、諂うの比喩的表現はあと「もみ手をする」等他にもあると思うが、中国語はこの種の表現が実に多い。代表的なのは(拍馬尻)「馬の尻を叩く」。馬を褒めるとき「良い馬ですね」と馬のお尻を叩く描写である。
日文中讲奉承话的、溜须拍马的比喻表现还有“搓着手”等其他说法。中文中这类表述可谓多不胜数。代表性的有“拍马屁”。这描写的是夸奖马时拍着马的屁股说道:“好马啊!”
ちょっと辞書を引いたら
查辞典后发现
巴結:諂う、取り入る、阿る
巴结:奉承、讨好、阿谀
諂上欺下:目上の人に諂い目下の人を見下す
谄上欺下:对上讨好,对下傲慢
奸佞:悪賢く人に諂う(人)
奸佞:奸邪谄媚(的人)
捧臭脚:媚びる、諂う(直訳したら臭い脚を捧げ持つ)
捧臭脚:献媚、讨好(直译就是捧着别人发臭的脚)
献慇勤:取り入るためにまめまめしくする
献殷勤:为了讨好别人而做出勤快的样子。
灌米湯:お世辞を並べ立てる
灌米汤:不断说甜言蜜语
まだまだ、いくらでも有るはずだ。
这类表述还有得是。
中国語を勉強始めたとき、諂いに関する表現がよく出てくるので、お世辞とおべんちゃらばかり言っている中国人の心は、かなり屈折しているだろうと思っていた。
刚开始学中文的时候,发现有好多关于奉承的表现。“喜欢阿谀奉承的中国人的心理一定很扭曲吧。”我这么想着。
ところが北京語言学院で勉強しているとき、中国人の教師が意外なことを言った。
但是当我在北京语言学院学习的时候,中国老师说了一番让我大感意外的话。
「中国人は楽しみながらお世辞を言っているのです」と。
“中国人很享受说奉承话。”
これは私の解釈だが、上手にお世辞が言えると言うことは、自分の教養の高さを示していることになるのである。お世辞も言えない奴は、教養を疑われ軽蔑こそされ尊敬されない。だから中国人は、熟練した心理学者のように人の心に食い入るお世辞を言う。例えば、私の中国語を褒めて、
这是我的一面之辞。(中国人认为)能高明地说奉承话可以凸显自己教养之高。不会恭维别人的家伙只会让人觉得他教养低下,难以赢得别人的尊敬。因此中国人像有经验的心理学家一样对人心了如指掌,熟谙恭维技巧。比如,夸奖我的中文时会说,
「貴方の中国語はご当地の言葉とは違うが、日本人の話す中国語とも違う。」
“虽然您的中文与本地人说得不一样,但是也不像日本人说的中文。”
聞きようによると、褒められているのか、貶されているのか分らないが、私がこのような言い方が好きなことを充分に計算の上での、殺し文句である。
不同的思维方式,可能理解出的意思或褒或贬。我认为这种说法是在经过周密计算之后的甜言蜜语。
こんなに上手に褒められると、私の心は舞い上がり、更に勉強する気になる。
被这么高明地恭维之后,我感到欢欣鼓舞,更有学习劲头。
中国人のお世辞は、一種の教養の物差しだと知って分ったことがある。
当知道中国人的恭维是一种衡量教养的标准之后,我理解了一些现象。
中国で会議に招かれると、よく「中国の悪い点についてどうぞ忌憚のないご意見を述べて下さい」言われる。そこでもし本当に忌憚なく悪口を言ったら最後、その日は一日誰も物も言ってくれない。私もある貿易委員会のパーティーに招かれて、こう言われたので、つい中国の自転車を例にとり「まだまだ目に見えない所の品質が悪い」と率直に言ったら、一日針の筵に座っているように居心地が悪かった。毛沢東は(実事求是)「事実こそ重要」と言ったが、中国人の皆が毛沢東のように物分りのいい人とは限らない。逆に上手にお世辞を言えば、満座の喝采と、その日一日乾杯攻めに会うことを請合う。だから、今日はお酒が飲みたければ、適当にお世辞を言うし、お酒が欲しくなければ率直に言えばよい。
比如在中国召开会议之时,经常听人说:“关于中国的缺点,请畅所欲言。”但要是真的毫无顾忌地说一通坏话,最后你会发现这一天没人搭理你。我有一次受邀参加贸易委员会的聚会,有人这么对我说了,我就以中国的自行车为例,直率地说:“在眼睛看不到的地方,质量还很差。”那一天,我如坐针毡,感到周边气氛很差。毛泽东曾经说过:“事实很重要(要实事求是)。“但是中国人并不全都像毛主席一样深明大义。反之,要是我高明地说了奉承话,就会赢得满堂喝彩,之后一整天不断有人要求跟我干杯。因此,现在我要是想和中国人喝酒的话,就适当地说些奉承话。不想喝酒呢,就实话实说。
中国人は実に会話が上手である。かなりの日本通の中国人に、日本人は冷たいと言われたことがある。心外だが、どうも日本人の会話下手が原因らしい。
中国人擅长交谈。有一个日本通的中国人曾对我说日本人很冷淡。意外的是,原因是日本人不擅长交谈。
我々の会話の決まり文句は、まず
我们日本人对话的陈词滥调首先是,
「いつ日本にお出でました。」
“什么时候来日本的呀?”
「日本語が、お上手ですね。」
“您日语说得真好。”
「お仕事は、何をなさっています。」そこで会話が途切れる。
“请问您从事哪方面的工作?”然后交谈就进入死胡同了。
これは日本人が冷たいのでなく、初対面の人にあまり色々尋ねるのは失礼だと思っているからである。
这不是因为日本人冷淡,而是因为日本人觉得对初次见面的人问这问那的没有礼貌。
中国の諺では(酒逢知己千杯少、話不投機半句多)「親しい友達と飲む酒は千杯でも少ないが、気の合わない奴と話すのは半句でも多い。」と言う。だから楽しい会話は、客人のもてなしに欠かせない。
中国有句谚语,“酒逢知己千杯少,话不投机半句多。”因此,在招待客人时愉快的交谈是不可或缺的。
私は、日本人が会話下手な原因の一つは敬語にあると思っている。正しく敬語を使うことで相手への尊敬と親愛の気持ちを伝え、お世辞など余計なことを言うのは、却って失礼だと思っている。
我认为,日本人不擅长交谈的原因之一是敬语。正确使用敬语就足以传达对对方的尊敬和友善。画蛇添足地说了奉承话,反而会让对方觉得被冒犯了。
中国語に敬語が無いから簡単、と思うのは大間違い。その場に相応しい言い回しを、敬語を使わずに表現できるのが、語学能力であり教養なのである。中国語の敬語は、表情も感情も豊かに、心から貴方を敬っていますと言え、更に相手を気分良くさせてこそ敬語なのである。それは又お世辞でもある。
但要是认为中文没有敬语所以很简单,那你就大错特错了。不使用敬语,却能说出合乎时宜的高明措辞,这既是语言能力,也是一种教养。中文中的敬语,不管是表现还是感情都很丰富。说得上是打心底尊敬对方,并且只有让对方心情舒畅才能称作(中文中的)敬语。这归根结底也是一种奉承话。
もう一つ、日本人も中国人も必ず言う言葉がある。
还有一种话,是日本人中国人都说的。
日本人なら、「日本の印象はどうですか」
日本人会说,“您对日本的印象如何?”
中国人なら、「中国の印象はどうですか」
中国人会说,“您对中国的印象如何?”
ここでしっかりお世辞が言えないと、将来外務大臣にはなれない。
要是在这种场合下说不出奉承话,将来就成不了外相。
中国人の家に招かれると、政治以外のことは実に次から次と話題が絶えない。楽しい席では、政治を話題にしないのも生活の知恵なのである。
受邀去中国人家里做客,除了政治以外,话题不断。在愉快的饭桌上,闭口不谈政治也是一种生活智慧。
例えば車が話題になると、メーカーは?色は?と、いう具合に話しが発展する。
比如说到汽车的话题时,借由“哪个制造商的?”、“什么颜色?”这类问题谈话就能继续下去。
中国で割合あけすけに、相手の収入を尋ねるのは事実である。しかしこれも自然な話題の流れが必要で、中国旅行ツアーで「中国では相手の収入を尋ねても失礼ではない」と教えられた日本人団体客が、皆ガイドさんの給料を尋ねるというのはやはり不自然で、会話下手と言わざるを得ない。
中国人相对直接地询问对方的收入,这是事实。但这也需要在自然的语境下进行,要是去中国旅游的日本旅行团得知“在中国询问对方收入不算冒昧”之后,全都跑去问导游的收入,这也不自然。只能被人诟病为不善交谈。
私はセクハラまがいの話しが好きなのだが、中国でこれを話題にするには、やはり相当親しくならないといけない。中国の若者と酒を飲むと、皆それぞれにこの種の楽しい一口話しを持っていて、次々に披露してくれる。
我也喜欢说些接近性骚扰的黄段子,但是在中国,只有关系相当亲密之后才能说类似的话。中国的年轻人喝酒之后,都轮番说着这类小段子。
中国人は全てと言って良いほど客好きである。あの広い大陸で、遠来の客は貴重な情報をもたらす人でもあった。このようにして、中国では口コミはテレビよりもラジオよりも、あらゆる情報伝達機関より早く、一瞬のうちにあの広い大陸全体に伝わる。
可以说所有的中国人都热情好客。在广袤的大陆,远道而来的客人携带着重要的消息。因此在中国,小道消息比电视、广播等所有传递信息的工具都要来得快,一瞬之间传遍全国。
私は図々しいほど招かれ好きである。中国人のお招きは全て受けている。私にとって何よりの生きた中国勉強を提供して呉れる場所でもあるから。
我厚颜无耻地喜欢应人之邀。对中国人的招待来者不拒。对我来说,这提供了最佳的学习中国的机会。
お世辞も敬語も、このような場合欠かせない友好の潤滑油だと思う。
不管是恭维还是敬语,都是这类场合不可或缺的友好的润滑油。
日本語では、敬語を正しく使えることは、教養の基本である。
在日语中,正确使用敬语是基本的教养。
中国語では、お世辞をしっかり言えることが、教養の基本である。
在中文中,自如地恭维别人是基本的教养。