造語は誰でも利用可能なコミュニケーション・ツールです。そして、出来上がった単語が見事な場合は、やがてそれが人口に膾炙することになります。
新词作为交流工具,谁都能用。如果创造出来的还是个绝妙好词,那它很快就会在人们之间流传开来。
ところが、どういう訳か、あまり見事でない造語までが完全に定着してしまっているような気がします。
不过说来也怪,我总觉得,就连一些不怎么样的新词都能完全在人们心中扎根。
例えば、「盛り上がる」の反意語として「盛り下がる」という表現を使います。「上がる」の反対は「下がる」で良いのですが、「盛り」がそのまま放置されているのが私には気に喰わないのです。
网友碎碎:「盛り下がる」のは、その場面が、本来なら盛り上がるはずだ、盛り上がってほしい・・のに、予想・期待に反して、まったくそうは行かなかった、というときに使われるからで、残念とか、呆れた、とかいった気分が、「盛り」下がる、で伝わってくるような気がします。
比如,说到“盛り上がる(气氛热烈)”的反义词,人们用的是“盛り下がる(尴尬、冷场)”这个表达,“上がる”的反义词是“下がる”还说得过去,但是“盛り”就那么原封不动放着,让我很是不满。
「盛る」は「高く積む」という意味なので、「盛り上がる」なら解りますが「盛り下がる」では自己撞着を起こしてしまいます。
“盛る”意为“高高堆积”,“盛り上がる”还能解释的通,“盛り下がる”的话就自相矛盾了。
このようにある単語の半分だけを反対の意味に置き換えて、それで反意語が完成したと思っているような例が非常に多いのです。上の例で言えば、例えば「掘り下がる」くらいにしないと完璧な造語とは言えないのではないでしょうか。
像这样的例子有很多,在创造反义词时只将单词一半置换成相反的词,然后便以为大功告成了。回到上面的例子,若不能改成像“掘り下がる”这词这样,便算不上是完美的新词吧?
网友碎碎:「盛る」の反対語は「掘る」。「掘る」は、「下に削る」の意味だから、掘ったら下がります。結論は、「盛り上がる」の反対語は「掘り下がる」——これ見た時に「この人頭大丈夫?www」と本気で思ってしまったよ。ネジがゆるいどころの話じゃない。盛ったら上がるんだから下げるなら掘れよ、という話?
奇妙な造語の大半は反意語・対義語作りの失敗です。反意語や対義語を作るのは実に難しい作業で、単純な置換えで済むものではありません。
怪异的新词中大部分都是反义词•对偶词的失败之作,说来这也确实是件难事,不是简单置换下就能行得通的。
例えば「大人(おとな)」の反対は「子供」であって「小人(こびと)」ではありません(ただし、昔は電車の切符売り場に「小人」という表記があったのも事実ですし、孔子の「論語」の中では別の意味で「大人/小人」というペアが使われています)。
比如“大人”的反义词是“子供”而不是“小人”(只是,以前在电车售票处确实有过“小人”这样的标识,在孔子《论语》中“大人/小人”俩词也曾成对出现,不过代表的是别的意思)。
「大好き」の反対は「小嫌い」ではなく「大嫌い」です。この場合は単純に両方とも反対の字に置き換えたら意味としては反対にならなかったという例です。
“大好き”的反义词是“大嫌い”而不是“小嫌い”。这个例子说明了,如果只是单纯的将单词里的字都换成意思相反的,反义词也不能成立。
元巨人の中畑選手が作った言葉に「絶不調」というのがあります。これも「絶好調」の「好調」だけを「不調」に置き換えた安易な造語です。ただ、「絶」はこの場合「絶える/途切れる」という意味ではなく、「この上なく」という意味なので、どうやらこれはこれで理屈に合っているみたいです。
曾是巨人队球员的中畑创造出的新词中有“絶不調(状态极差)”这个词,它也仅仅是将“絶好調”一词中的“好調”换成了“不調”,属于菜鸟级别的新词。但是,“絶”在这里的意思是“没有比这更……”,而不是“断绝/中断”之意,所以这种情况下也凑活能说得通。
他にも例はたくさんあります。「鰻上り」の反対に「鰻下がり」と言う人がいます。コンピュータ関係の書物では、DDRSDRAMの説明で1クロックの後半を「立ち下がり」と称しています。立っているのに下がるのはおかしいと感じないのですかねえ・・・。
别的例子还有很多。有人将“鰻上り(直线上升)”反义词说成是“鰻下がり”。计算机相关书籍中对内存的解释中提到cpu时钟频率1clock后半段是“立ち下がり(走低)”。明明是站着却还下降,他们不会觉到怪怪的么……
反意語を作ったらまず充分に字義を吟味してみるべきでしょう。それは料理の味見みたいなものです。洋風料理のソースを醤油に変えただけで美味しい和食ができるはずがありません。
创造出了反义词的新词,应该先好好斟酌下字意才对吧,就像试吃料理一样。只是将西式料理中的调味汁换成酱油是无法做出美味的和式料理的。