歌舞伎座 落成首演
春を彩る黄色い花、レンギョウの名をもらった「連翹忌(れんぎょうき)」はきょう、高村光太郎の命日をいう。彫刻家で詩人の光太郎は九代目市川団十郎にほれ込んでいた。「明治の劇聖」と呼ばれた人で、東京の歌舞伎座をゆるがぬ存在にした立役者である
今天是“连翘祭”,取名于彩绘春色的黄色花朵连翘,为的是纪念高村光太郎的忌日。雕刻家诗人光太郎情有独钟的第九代市川团十郎是一位被称为“明治剧圣”的人,是奠定东京歌舞伎座社会地位的台柱。
「団十郎は決して力まない。力まないで大きい」と光太郎は称賛した。若い頃、団十郎の舞台に入りびたったというから、初代の歌舞伎座に通ったのかもしれない。時は流れて、五代目となる歌舞伎座がきょう、こけら落としの幕を開ける。光太郎も喜んでいよう
光太郎对其赞誉有加,“团十郎毫无半点造作,于不造作处见功力。”据说年轻时他就成天泡在团十郎的舞台演出里,因此,或许还是第一代歌舞伎座的常客。时光流逝斗转星移,今天第五代歌舞伎座落成首演拉开了帷幕,想必光太郎也一定会为此而喜不自禁的。
光る黒屋根から「二日初日」の赤幕が垂れる。わが職場とはご近所だが、見慣れた四代目の面影とほとんど変わらない。歌舞伎の殿堂、象徴としての先代の踏襲が、根っこの考え方にあったそうだ
从熠熠生辉的黑色屋顶上悬挂着写有“二日首演”的红色垂幅,剧场离我们的工作地点很近,我觉得与第四代的外形几乎没有变化。作为歌舞伎的殿堂及象征承袭前人已扎根于歌舞伎人的思想深处。
設計した建築家の隈研吾さんは、完成した建物を「役者と観客に生命を授けられ、ずっと生きてきた存在のよう」と言う。三つの世紀をまたいで、幾多の名演が客を歓呼させ、客もまた役者を育ててきた
该建筑的设计者建筑家隈研吾先生认为这一竣工后的建筑“被演员与观众赋予了生命,它将一直存活下去。”这一剧种跨越了三个世纪,有多少名优的表演令观众为之欢呼雀跃,当然观众也从另一方面培育了这些演员。
建て替えの3年間に、歌舞伎界は悲報に揺れた。人間国宝3人が相次いで他界し、脂の乗り切った中村勘三郎さんや十二代団十郎さんという大看板まで欠けた。涙をぬぐい、底力が試されるときだろう
在改建的这3年里,令人心碎的讣告震动着歌舞伎界。有3位国宝级演员相继辞世,偌大的名牌矩阵里缺少了正当盛年炉火纯青的中村勘三郎先生以及十二代团十郎先生的名字。或许现在正是饮痛含泪考验他们功力的时候。
江戸の昔には、観客の熱狂ぶりを「小屋も崩るゝばかり」と表したそうだ。折しも東京は花の季節。新しい舞台に立つ老練円熟の芸と、若い瑞々しさで、歌舞伎座も崩るるばかりに酔わせてほしい。一番の供養になるはずだ。
据说在从前江户时代,人们用“剧场也将震塌”来表现观众的狂热。时值东京的花季,希望以呈现在崭新舞台上老道成熟的艺术和年轻一代的清新俏丽陶醉满场的观众,让他们的兴奋也将这歌舞伎座震颤得摇摇欲坠。这将是对此最好的供养。
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