天声人语翻译赏析:今日雨水春风送暖

   2015-05-15 344
核心提示:今日雨水 春风送暖いまの季節、「探梅にでかける」と書いたら、俳句好きの方からお叱りをいただくはめになる。さきがけの一輪二

今日雨水 春风送暖

いまの季節、「探梅にでかける」と書いたら、俳句好きの方からお叱りをいただくはめになる。さきがけの一輪二輪を、まだ風も冷たい野山に求める探梅は冬の季語だからだ。立春をすぎれば、色香を楽しむ観梅に季語は変わる。日本人の季節感は、実にこまやかだ

现在这季节,你若写出的是“外出寻梅”的话,定会陷入俳句爱好者们群起而攻之的境地。因为去往那寒风猎猎的山野,寻找争先绽放的一两朵梅花,这所谓的寻梅是冬季季语的缘故。一过立春,季语也得随之而改变成陶醉于其香其色的赏梅。日本人的季节感真可谓细腻。

今年の冬は寒い。毎年みごとな近所の寺の紅梅は、ようやく一つ二つ開き始めたばかりだ。駅への道にあるお宅は白梅がちらほら。東京の感覚では、いまが探梅から観梅への、ちょうど移行期らしい

今年的冬天足够寒冷,每年到这时候附近寺庙里争相怒放的红梅好容易才刚开始绽放出一两朵。通向车站的路边,民居家的白梅也只是星星点点。东京给人的感觉是,这阵子正好处于从寻梅到赏梅的过渡期。

先日、静岡県熱海市の美術館で尾形光琳の「紅白梅図屏風」を見た。色のせいか、右の紅梅の咲き具合が心なしか早いように思われて、蕪村の〈二(ふた)もとの梅に遅速を愛す哉(かな)〉が胸に浮かんだ。光琳の画も蕪村の句も、気品の中をゆったりと時間が流れている

日前,在静冈县热海市美术馆观赏了尾形光琳的“红白梅图屏风”,也不知是因为色彩的原因?还是右侧红梅绽放之态不够含蓄的原因?总觉得有些过于急躁,开得早了点,同时脑海里不由自主地浮现出芜村的那首俳句〈梅开两树有早迟,可爱之处在于此〉。当然,无论是光琳的话画,还是芜村的诗,都能让人感觉到时间从它们的气韵与品性中缓缓流过。

一転、ユーモラスな梅の句が、これは一茶にある。〈紅梅にほしておく也洗ひ猫〉。春の泥に汚れた猫だろうか、洗って日なたで乾かしてやる。洗濯物のように猫が干される図を想像し、思わず頬がゆるくなる

转而说到幽默风趣的咏梅之句,这就要数一茶的那一首了,〈梅开花正红,朝阳暖融融,浴毕小猫倚干躺,晒晒身轻松〉。或许这是一只因开春后的污泥而弄得蓬头垢面的小猫吧,洗了个澡,正晒着太阳晾它身上的毛呢。想像着如同对待洗完的衣物似地晾晒小猫的这幅画面,不由地脸上便流露出浅浅的笑意。

ついこのあいだ年を越したと思ったら、もう2月も半ば、きょうは二十四節気の雨水(うすい)になる。降る雪が雨に変わり、雪が解けて土が潤いだす。しかし北国はまだ冬のさなか、観梅どころか探梅も遠い雪の空が続く

觉得好像才刚过完年,可确确实实2月也已过去了一半,今天是二十四节气中的雨水,飘落的雪花将要变成细雨,积雪也将融化并滋润大地。然而,在那遥远的北疆或许仍是一派隆冬的风光吧,不断憋着降雪的天空之下,别说是赏梅了,就连寻梅也还早着呢。

満開もみごとだが、「一輪ほどのあたたかさ」こそ梅の梅らしさだろう。寒さに向かって開く紅白は、どこか人を励ますところがある。まだ寒々と硬い大地から、春の足音が聞こえてくる。

争相怒放虽然气势宏大,可“一朵而知春暖”才更显梅花的个性。在这不畏严寒而绽放的红白花朵上,能让我们感受到一种激励的力量。我们已经听到了从这天寒地冻硬邦邦的大地传来的春天的脚步声。

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