放手过去 紧抓未来
受験シーズンが大詰めになってきた。今年の国公立大の志望者には「安全・地元志向」がより強まっているそうだ。1次試験にあたるセンター試験が難しかったらしく、点数の伸びなかった受験生がやや弱気になっている。そんな分析を、先の本紙記事が伝えていた
高考已接近尾声,听说今年报考国立公立大学的志愿者中填报“安全・本地志愿”的倾向更为强烈。相当于初试的中心考试很难,得分不高的应考生有点垂头丧气提不起精神。本报的报道日前也曾作过诸如此类的分析。
なかでも国語は、200点満点で平均が101・04点と過去最低に沈んだ。その「犯人」と目されるのが、批評家小林秀雄の難解な随想である。没後30年の年に、ひとしきり新聞各紙で話題になった
其中,满分200分的国语平均才只有101.04分,跌至过去最低。被视作“肇事者”的是评论家小林秀雄的随想,特别难做。死后30年的今年,他的文章频频见诸各大报纸而成为话题。
筆者も挑戦してみたが、なかなか手ごわい。「鐔」という題からして凄みがある。刀の鐔をめぐる一文に、語句説明の「注」が21もつく。これを1問目に「配点50点」でドンと置かれて、焦る気持ちはよくわかる
笔者试着做了做,也深感棘手。只“刀托”这一题就够难的。这篇关于刀托的文章里,光语句说明加的“注解”就有21处之多。而且还故意放在了第一题占50分,可想而知考生当时有多么焦急。
小林は、人を酔わせる文句の名人とされる。いたる所で繰り出されるが、たとえば手元の一冊にもこうある。「万人にとっては、時は経つのかも知れないが、私達めいめいは、蟇口(がまぐち)でも落すような具合に時を紛失する。紛失する上手下手が即ち時そのものだ」(随想「秋」から)
小林被称为撰写醉人文章的名人。在任何地方都能找出他的文章,例如,手头上就有一本书里这么写道,“也许对于所有人来说,时间都是自己流逝而去的,可实际上是我们把时间丢失了,尽管像丢失了钱包那样很心疼。即便有高下之分可丢失毕竟是时间。”(摘引自随想“秋”)
一方で、絢爛華麗な殺し文句をちりばめるためには論理性に頓着しないところがある。名高い「批評の神様」も受験生には貧乏神だったかもしれない
而另一方面,为了点缀些吸引人的华丽秀美的语句也有不在意理论性之处。也许声名远扬的“批评之神”对于应考生来说他就是个给人带来穷困的神。
蛇足めくが、右の引用文はこう続く。「そして、どうやら上手に失った過去とは、上手に得る未来の事らしい」。分かるような分からぬような。ともあれ過ぎた試験は悔やまず未来を上手につかむよう、受験生にエールを送る。
这么做有点画蛇添足的味道,上面引用的文章还有后续,“况且,好容易彻底地丢掉了过去,也就是很好地获得了未来”。这似懂非懂的文章真是烦人。可不管怎么说我们要声援这些考生们,已经过去了的考试就不要再后悔了,紧紧地抓住未来吧!
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