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さ行音の謎
さ行音的谜
さわらび(幼蕨)。
しあわせ(幸福)。
すずかけ(麻布罩衣)。
せせらぎ(细流)。
そよかぜ(微风)…。
さ行音で始まることばが好き、という人は多い。
许多人都喜欢以さ行音开始的词语。
たしかに上のようなことばを声に出して読んでみると、「涼しい秋の爽やかな風が澄みきった空を吹きわたる」感じがする。耳もとで「すてきなしらせをそっとささやかれたら」快い。
把上面这些词读出声来,确实有“凉爽秋风拂过清澈天空”的感觉。若有人在耳边“细语欢喜事”亦让人心情愉悦。
記号表現と記号内容の関係は恣意的、というのが近代言語学の基本的なテーゼだそうだ。単なる約束事に過ぎないから、みなさんの合意さえあれば「牛」のことを「うま」という音声記号であらわしてもさしつかえない。
据说“语言符号形式与其内容的关系具有任意性”这一观点是近代语言学的基本论题。因为这一切不过是约定俗成而已,只要大家达成共识,那么即便用“うま”去标记“牛(うし)”也是无妨的。
だからといって、上の語例をたとえばな行音で代替できるものかどうか?
话虽如此,那么能否把上面的词例用别的音譬如な行音来代替呢?
なわらび。
にあわせ。
ぬずかけ。
ねせらぎ。
のよかぜ…。
何だか変だ。それとも、ことばは慣用だから慣れてしまえばこの違和感は解消されるのだろうか?ちょっとちがうような気がする。この違和感には単なる慣れの問題には還元できない何かがある。
似乎有些怪。还是说,语言靠的是习惯,所以只要习惯了这种别扭的感觉就会消失呢?我总觉得并非如此。这种别扭的感觉中有某一部分仅用习惯是无法克服的。
さ行音で始まることばには、記号性だけでなく象徴性も含まれているような気がする。
个人觉得,在以さ行音开始的词语中,除了符号性以外还包含着象征性。
ささやき(低声细语)。
しおさい(海涛声)。
すみれ(紫罗兰)。
せり(水芹)。
そば(荞麦)…。
たとえば「部屋が片付いてすっきりしました」というオノマトペ表現があるけれど、「久々に風呂に入ってさっぱりしました」、「風呂からあがってクリームを塗ると肌がしっとりしました」などの表現もさ行音以外では代替できそうもない。
比如,日语中有“房间收拾得干干净净(すっきり)”这样的拟声表达、而“久违地洗了个澡后整个人神清气爽(さっぱり)”、“洗完澡抹了乳液后皮肤水润润的(しっとり)”等表达也无法用さ行音以外的音来代替。
さ行音は、発音器官が作るせまい息の道を擦るようにして出てくる。さ行音で始まることばにいつも感じられる風が通り過ぎる感覚は、この調音の仕組みとも関係がありそうだ。さ行音で始まることばを口ずさんでいると、たんに恣意的という身もふたもない言いかたでは片づけられないことばの奥深さを感じる。
さ行音从发声器官打通的狭小的呼吸管道中擦身而过。我们总能从以さ行音开始的词句中体会到风吹过的感觉,而这似乎也与这个调音结构有着关联。当我们轻吟着这些词,便能感觉到它们的高深之处,这绝不是仅用“任意的”这种赤裸裸的说法便能诠释清的。
附日本网友总结:日本語のオノマトペってこんな感じ→カ行=硬さ担当、サ行=鋭さ担当、タ行=重さ担当、ナ行=柔らかさ担当、ハ行=癒し担当、マ行=可愛さ担当、ラ行=不思議ちゃん担当、ン=弾力担当、拗音=可愛さバイキルト、促音=鋭さバイキルト
日本人闲谈语感二三事(附例解说)
趣味实例:对声音敏感的日本民族