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山田って誰?
山田是谁啊?
以前、中国出身の生徒に、こんなことを聞かれました。「先生、山田は、昨日図書館へ行ったんですか?」。へ?山田って誰よー??そんな名前の生徒は、うちのクラスにはいないはずだけど・・・いろいろ考えをめぐらせている私を思ってか、彼女は、使っていた教科書を持ってきて、教科書内の「山田さん」を指差しています。
我曾经被一个中国学生问过这样的问题。“老师,山田昨天去图书馆了吗?”啊?山田是谁啊~??我们班应该没有叫这名字的学生吧……可能是看我想得纠结,她拿来了平常用的教科书,指了指书里的“山田先生”。
そう!彼女は質問してきた「山田」とは、教科書内の登場人物で、彼女は、教科書の内容のことを質問していたのです!じゃ、せめて「山田さん」と言ってくれよー・・・てっきり、友達かと思ったじゃないか・・・後で、知ったことですが、中国では「君」や「さん」などの呼称がないそうで、とっても偉そうに聞こえますが、「おい、山田。」「なんだい、田中」と呼び合うのが、友達同士では一般的。
没错!她问的“山田”正是教科书里的出场人物,她刚指的是书里的内容!那至少该叫人家“山田先生”啊……我还完全以为他俩是朋友呢……后来才知道,说是中国没有“君”、“さん”这样的称呼,虽然听起来有点霸道,不过在朋友之间,“哎,山田。”“咋啦,田中。”这样相互称呼是很正常的。
その影響を受けて、中国出身の生徒達は、平気で、教科書の人物を、あたかも友達のように呼び捨てにします(笑)。聞いているこっちは、呼び捨て=親しい人を連想してしまうので、いきなり聞かれると、上のように、とっても違和感です。
受这一点影响,来自中国的学生们都很自然地对教科书里的人直呼其名,就像朋友一样(笑)。我这边听着,不觉联想到直呼其名=关系亲密的人,突然来这么一句,就会像上面提到那样感觉特别扭。
以前、この事実を知らない、初級の学生に、「○○(←私の名前)さんは、学生じゃありません。先生です。」という文を、書き取りをさせたことがあります。
以前我曾让一些不知道这事儿的初级学生们听写过这么一句话:“○○(←我的名字)女士不是学生,是老师。”
すると・・・「○○は、学生じゃありません。先生です。」と、私の名前を、呼び捨てにした回答が続出・・・^^;一体全体、君たちは、私の友達か・・・笑
结果……“○○不是学生,是老师。”像这样,直呼我名字的回答是一个接着一个……^^;难道大伙儿全都是我的朋友不成……笑。
以後は、「日本では、「さん」や「君」を使うのですよ~。」という指導を忘れないようにしています。生徒達の将来も思って・・・笑。
之后,我便不忘教导学生“在日本,称呼别人时会加上‘さん’或者‘君’哦~”这也是考虑到学生们的将来……笑。
【外教课堂】“日语称呼”神马的真烦恼!
日本网友看法:
ざっと考えて、だれかの名前を呼び捨てにするのは、次のような場合でしょう。
我大概总结了下,一般会在下面这些情况下对别人直呼其名吧。
(1)その人が自分の身内の人間である場合。「えっ、孝太郎がそんなことを言いましたか」なんていう場合は、その話し手と孝太郎は、親子、兄弟、親戚、親友などであるということが日本人ならすぐわかる。
(1)对方是自己人。“啊,孝太郎说了那种话吗”,像这个,日本人一听就能明白说话者和孝太郎可能是亲子、兄弟姐妹、亲戚、至交之类的关系。
(2)その人間が犯罪者だったり、あるいは話し手がその人に悪意を持っていたり否定的に見ている場合。「麻原彰晃がやったんだよ、絶対」なんていうのがこれにあたる。
(2)对方是犯人,或者说话者对其不怀好意、或并不认同。“麻原彰晃做的嘛,肯定是”,像这种就是前面提到的情况。
(3)呼び捨ての方が自然であるという場合がある。「朝青龍さん、今日帰国しちゃったんだってね」とかは丁寧というよりむしろヘンである。「でさぁ、木村拓哉がそこで言ったの」なんて女子高校生が電車の中で喋っていたら、こいつらは映画とかテレビドラマの話をしていることが了解できる。これが「そのとき木村拓哉さんが言ったの」となると、なんだか現実の世界でキムタクが言ったようなニュアンスになって、普通の人はそうではないわけだから、さんをつけることが誤解をわざと誘導するみたいで、かえってその有名人に礼を失するというような感じになる。
(3)有时候直呼其名更显自然。“听说朝青龙先生今天回国了啊。”类似这种,与其说是有礼貌倒不如说很奇怪。女高中生们要是在电车里聊天,说到“那啥,木村拓哉在那里面说哒”,我们便知道这些家伙在聊电影或者电视剧。如果变成“木村拓哉先生当时说的”,会给人感觉像是现实生活中木村拓哉本人说的,一般人不会那样,似乎要通过加“さん”这个尊称故意引出误会,反而对那个明星失礼了。
日语尊称“さん”滥用遭质疑
称呼夏目漱石时加“さん”为何不自然?