盛夏贴膘 又出新招
大家の誘いで店子の面々が花見に繰り出すのが、ご存じの落語「長屋の花見」。勇んで出かけたものの、重箱のかまぼこは月形に切った大根、卵焼きは黄色いたくあん。お酒も番茶を薄めた「お茶け」――
在房东的怂恿下,房客一个个地都去赏樱花了,这一幕出现在路人皆知的落语传统段子“平房住户赏樱花”里。鼓足了勇气好容易出门散散心,可吃饭时端上来的屉盒里装的鱼糕却是切成了月牙形状的萝卜,煎鸡蛋是黄色的腌萝卜,喝的酒也成了粗茶对了水的“清水茶”。
そんな噺もふと浮かぶ、ウナギの品薄異聞である。高騰がおさまらぬ中、ナスをウナギに見立てた「なすの蒲焼き重」が人気だそうだ。お代は800円ながら、群馬県のある食堂で土日には100食ほども出るのだという
之所以脑海里不由自主地想起了这段故事,完全是因为今年鳗鱼奇缺的异常市况所致。据说,在此鳗鱼价格高扬不下的情况下,外观几可乱真烤鳗鱼的“烤茄子屉盒”变得极具人气了起来。尽管价格高达800日元一份,可群马县的某家餐厅周六周日竟卖出了100份。
バーナーで焦げ目をつけ、たれを塗る。見た目も味もいけるらしい。ウナギは生態に謎が多く、形とぬめりの連想から、昔は「山芋変じてウナギになる」などと言われた。ナスが身代わりとは、人間の食べる知恵に本物がびっくりだろう
使用液化气罐烤成少许焦黄的外壳,涂抹上调好的料汁,外观和口感似乎都还说得过去。鳗鱼的生态体系有很多不解之谜,因其外形及滑溜溜的身体使人联想翩翩,从前甚至还有过“山芋翻身成鳗鱼”等说法。茄子都能身价倍增,真不知道作为正身的鳗鱼对人类饮食文化的睿智作何感想。
あすは土用の丑の日だが、炎暑の季節の風物詩も年を追うごとに心配が募っている。養殖用の稚魚は極度の不漁から回復の気配がない。今年は8月3日に「二の丑」もあるのに、香ばしい煙の向こうに絶滅危惧のランプがともる
明天又到了盛夏进补的丑牛日了,这首炎炎酷暑之季的风情詩也是每年一次地让人忧心忡忡。用于养殖的幼鱼因为极难捕捉所以丝毫看不到能够恢复的迹象。今年,8月3日还有个“二次牛”,透过香喷喷的烤鳗鱼烟雾,不难看到对面亮起的濒临灭绝的预警红灯。
かつてウナギは特別なごちそうだった。〈儲けたら来いといふ鰻屋の看板〉と川柳にあるから、おいそれとは手が出なかったのだろう。いつしか手頃になって、ついつい食べ過ぎたようだ。世界の消費量の7割を腹に収める日本への、欧米の目はきびしい
曾几何时,鳗鱼是人们餐桌上的一道特殊的美味佳肴。正如一首川柳诗所吟诵的那样,〈挣了钱,您就来,鳗鱼店家总不闲,金字招牌写得好,您是我的财神爷〉。看来面对高昂的价格恐怕谁都下不了出手的决心。他们都是那些什么时候价格合适了便狠狠吃上一顿的主儿。全世界消费总量的7成都填进了肚子,面对这么一个日本。欧美国家的目光是很严厉的。
「串打ち3年、割き8年、焼き一生」という日本の食文化の粋である。何とか資源を守りつつ、長いつきあいを続けたいものだ。もともと蒲焼きは待つ料理。少々の辛抱はしかたがない。
“串3年,剖8年,烤制得一生”,此话道出了日本食文化的精髓,无论如何得想想办法,在保护资源的同时,也得让它继续与我们长期相处。烤鳗鱼原本就是一道需要耐心等待的美味,所以,稍许的忍受是不得已的。
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